入間市高倉で生まれ、ずーと60年間入間で生活しています。父は、入間で建築関係の仕事をしていました。父の介護のために通信教育で介護福祉士の資格取得の学習に取り組みました。福祉の学習では、なれない用語に苦労しましたが、国家試験に合格し介護福祉士の資格を取得しました。その後母の介護に従事しましたが、資格が大変役に立ちました。
続きを読む昨年まで、世界のウルトラマラソンを統括する国際ウルトラランナーズ協会(IAU)のアジア担当ディレクター(理事)を担い、ウルトラマラソンにおける日本と世界のコーディネーションに努めました。現在は、IAUの終身名誉会員でもあることから、IAU直轄の、一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)を立ち上げ、代表理事をしています。
続きを読むお年寄りへのボランティア活動をしていて、一人暮らしのお年寄りに月1回配食サービスを金子公民館の仲間と約10年間行っています。お話のお相手や、敬老会のお手伝いを行っています。子どもの幼稚園時代からPTA活動に参加していろいろな行事に取り組んできました。これらの活動で得られたことが現在の活動の基礎になっています。
続きを読む市の広報誌で「子育てのお手伝いの必要な方」と「子育てのお手伝いをしたい方」が会員登録をし、助け合うことができる制度を知りました。子育てのお手伝いをと思い、入間市社会福祉協議会が行う3日間の講習会に応募し、「いるまファミリー・サポート・センター」にサポーターとして登録しました。
続きを読む「ハングル」に興味をもっていましたが、10年ほど前に市の広報で、ハングルの勉強会が扇町屋公民館で開かれることを知り、さっそく参加しました。当時は文法を学びました。その後、人数が増えたので二つに別れ、私は久保稲荷公民館に移り、楽しんで学ぶことから「ハングル楽会」と名付けました。
続きを読む昭和43年に入間市に東京調布市の国領から越してきました。大分県出身で、大学受験で東京に出てきから東京に住んでいました。一番長くやっているのは書道です。私は実務書道と芸術書道の両方をやりました。通信教育からはじめ、その後代々木と銀座の学校にそれぞれ1年通って習得しました。
続きを読む初めて武蔵藤沢駅に降りたとき、何もないさびしい駅で、駅からの坂道は、砂利道で回りは、ほとんど見渡す限り雑木林でした。その後宅地造成が行われ家がだんだん出来てきたのです。グリーヒルの住民のためのバスが運行されていたので朝は利用しました。ファッション衣料品販売の営業をしていて百貨店に出入りしていましたので、東京時代は、朝早く家を出て原宿や門前仲町に通勤し夜遅く家に帰る日々でした。
続きを読む35年前に川越市から引っ越してきました。夫の通勤や子育ての環境の良いところとして入間市の仏子を決めました。子育ての傍ら、生け花講師をしていましたが、自作の器に花を生けたいとの思いから花器作りを始めました。そのうち陶器を作る事にのめり込み、窯場に勤め、技術を習得して行きました。
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