<100人>小林荘平さん

kobayashisoheiprofile<入間には>

入間市黒須地区に住んで約10年になります。それまで、東京・荻窪に住んでいました。空気がきれいで、走れる環境があり、緑豊かなところに転居しようと思い、不動産業者のサイトから、さまざまな物件を知り、現地での比較検討のうえ、入間市に決めたわけです。狭山サイクリングロードや稲荷山公園、ジムで走っていますが、ジョギングする場所には事欠きません。ただ、不満なのは、店舗が少ないこと、とくに本屋、喫茶店、食事どころが少ない、ということです。

<仕事は>

外資系企業のマーケティング・広報ひとすじにやってきました。出だしは、1970年の大阪万博での企業・外国観光局の広報でした。その後、JW・トンプソンという、当時世界最大の広告代理店の広報部で外資系企業・製品の広報を担当、アメリカンエキスプレス(日本支社)の広報マネージャーを務めました。リタイア後、香港政府の日本代表事務所(領事館)で首席広報担当官として、香港政府の広報に従事しました。1997年、香港は英国から中国に返還されましたが、その渦中に身を置き、英国と中国のせめぎあい、マスコミの見解の相違などに直に接し、対応するなど、エキサイティングな日々を過ごしました。その後、民間会社でアドバイザーとして、広報のコンサルティングをしました。現在も、個人として、企業のマーケティングPRを行っています。

<活動について>

宮古島100Kウルトラマラソン
宮古島100Kウルトラマラソン

昨年まで、世界のウルトラマラソンを統括する国際ウルトラランナーズ協会(IAU)のアジア担当ディレクター(理事)を担い、ウルトラマラソンにおける日本と世界のコーディネーションに努めました。現在は、IAUの終身名誉会員でもあることから、IAU直轄の、一般社団法人日本ウルトラランナーズ協会(JUA)を立ち上げ、代表理事をしています。

ウルトラマラソンとはフルマラソン以上の長距離走をいいますが、日本でも競技人口もますますふえて延べ約7万人、年間約50大会が主催されています。種類は、世界陸連で公認されている100キロを代表格に、50キロ、24時間走、トレイルマラソン、と多様です。

ウルトラマラソンのレースでは通常5キロごとにエイドステーションがあり、水・スポーツドリンクをはじめ、おにぎり、バナナ、アメなどが用意されています。トップクラスの選手は走りながら水分を補給する程度ですが、一般のランナーは立ち止まって、水を飲み、スナックを類をつまんで、エネルギーを補給して走ります。

<ウルトラマラソンのやりがい>

ウルトラマラソンのやりがいは、人それぞれでしょうが、“もっと遠くへ”と言う願望をもって、努力し、困難を克服する。その中で自己を再発見し、限りなく大きな達成感を得る、とういことでしょうか。 “ランナーズ・ハイ”という言葉がありますが、快適な条件下、すなわち、静かなところで、マイペースで走っているとき、脳が、一定の体の動きとリズムに反応して、エンドルフィン、という“快適ホルモン”を生み出す、といわれています。いい意味での麻薬効果。一度、その味を覚えると、また、味わいたい、と思う気持ちが湧いてきます。ただ、ウルトラマラソンも走りすぎると身体に悪いことは明らかです。謙虚な気持ちで、十分なストレッチングを行い、正しい食生活、とくに穀物と野菜を十分に取ることが大事です。

国際ウルトラランナーズ協会会長と
国際ウルトラランナーズ協会会長と

IAUとの関わりで、多くのウルトラマラソンの世界大会に関わりましたが、思い出のひとつは、1998年、日本で開催された「四万十川100キロウルトラマラソン」のIAU100キロワールドカップです。レースの前日、台風が現地を直撃しそうになり、コース変更か中止か、と深夜まで激論をしていたところ、夜中の12時ごろ、突如、台風がそれた、とのニュースが流れ、関係者全員がいっせいに拍手したことを覚えています。主催者に味方する“神風”が吹いたのですね。

マラソンは、練習した結果が、ストレートに自分に返ってくる、自己完結型のスポーツです。私は、40歳前から走り出し、以来、“病コウモウ”で30年来ました。今では自分で走る距離は少なくなりましたが、多くの皆さんが、長い距離をそれなりのスピードで走るよろこびを感じてほしい、と思っています。

ウルトラマラソンに関心をもたれた方は, http://www.jua-org.jp/ をご覧ください。

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