<100人>渡辺八太郎さん

watanabeyataroprofile1<入間市にいつ頃からお住まいですか>

私は、山形県の天童に1944年8月から集団疎開をしていました。1945年10月に、疎開先の山形県から直接、入間市(当時豊岡町)へ来ました。東京大空襲で東京の実家は焼け、家財は何一つ持ち出せず着の身着のまま、家族全員がやっと避難したそうです。

<入間市にお住まいになったきっかけは>

父が砂町の軍需工場で働いていてそこで知り合った入間出身の方々に入間への移転を勧められて移ってきたとのことでした。

<お仕事は>

アメリカ人の元将校の経営する出版社に35年間勤めていました。営業や企画など何でもやりました。当時西武線での通勤は、混んですし詰め状態で大変でした。戦争中入手出来なかった日本の学術文献図書・雑誌などをアメリカに輸出することから始め、その後、洋書の輸入・販売・英文図書の出版などをしていた会社です。

<趣味は>

仕事の延長ですが読書、旅行、写真撮影などです。

<地域活動>

『車友』という高齢者の方々を病院などに送迎するボランティア組織に加入していて、自家用車で、あちこちに送り迎えを行っていましたが、解散で今は何もしていません。

watanabeyatarophoto2<韓国語(ハングル)を習い始めたきっかけは>

「ハングル」に興味をもっていましたが、10年ほど前に市の広報で、ハングルの勉強会が扇町屋公民館で開かれることを知り、さっそく参加しました。当時は文法を学びました。その後、人数が増えたので二つに別れ、私は久保稲荷公民館に移り、楽しんで学ぶことから「ハングル楽会」と名付けました。昨年度までは月4回行っていましたが、公民館使用料の関係で現在は月3回の勉強となっています。

<ハングルを学んで実体験で韓国に旅行されましたか>

原本
原本

5回ほど韓国を訪問しています。自分たちで企画し、すべて自分たちで手配し、成田からの飛行機や博多からの船も利用しました。主な訪問地は‘冬ソナ“で有名になる前の春川、ソウル、慶州、扶余、全州、釜山、特にお茶で有名な宝城では歓迎されました。車内で席を譲られたり、道を尋ねると、反対方向にもかかわらず、案内してくれるなど、さすが儒教のお国、人情の厚さを訪問のたびに感じました。

<韓国の現代文学を日本語に翻訳>

『グ・ヒヨソ作「長崎パパ」は、韓国最大の総合文学賞である大山文学賞を受賞した作品で、韓国文学の現在を示す代表作の一つと言える作品』とのユン先生のお話から取り組む事にしました。韓国の教保生命「大山文化財団」の 「韓国文学の翻訳・研究・出版支援事業」に応募したところ、昨年の8月に、支援対象者に選定されました。一昨年9月から韓国人2名、日本人3名の5名で翻訳を開始しました。

大山文化財団の選定証書
大山文化財団の選定証書

<グ・ヒヨソ作「長崎パパ」とは >

歴史に翻弄された家族やアイデンティティの混乱など、社会が孕んでいる重いテーマを、日常生活の中からごく自然に取り出している作品です。作品の舞台は長崎。登場人物も大半が日本人。韓国から日本に実の父親を探したい一念で海を渡り、調理師として働く20代のハン・ユナの日常や懸命に生きる個性的な登場人物と交流などから長崎での旅を通じて本当の自分を見いだすまでの道のりを細やかな文体でつづった作品です。その後、5人で日本語の文章表現などに配慮しながら作業を進めました。

大変な苦労をして翻訳作業をおえました。「無縁社会」といわれる現在の状況の中で、明るい展望へのヒントを与えてくれる素晴らしい小説だと思いますので、多くの皆さんに読んでもらえることを希望しています。

完訳原稿
完訳原稿

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