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<100人>泉田行信さん

初めて武蔵藤沢駅に降りたとき、何もないさびしい駅で、駅からの坂道は、砂利道で回りは、ほとんど見渡す限り雑木林でした。その後宅地造成が行われ家がだんだん出来てきたのです。グリーヒルの住民のためのバスが運行されていたので朝は利用しました。ファッション衣料品販売の営業をしていて百貨店に出入りしていましたので、東京時代は、朝早く家を出て原宿や門前仲町に通勤し夜遅く家に帰る日々でした。

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<100人>坂口基久子さん

35年前に川越市から引っ越してきました。夫の通勤や子育ての環境の良いところとして入間市の仏子を決めました。子育ての傍ら、生け花講師をしていましたが、自作の器に花を生けたいとの思いから花器作りを始めました。そのうち陶器を作る事にのめり込み、窯場に勤め、技術を習得して行きました。

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<100人>河原井修一さん

入間市の久保稲荷には17年住んでいます。入間に来る前は、狭山市の会社のマンションに住んでいました。会社が池袋なので西武新宿線を利用していて、所沢乗り換えで通勤していました。池袋に一本で通勤できる西武池袋線の沿線で一戸建てを探して、条件にあったのが入間市でした。

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<100人>小林寿美子さん

東京都小金井市で生まれ、入間市に越してから12年になります。当地を選んだのは緑が多く自然が豊かで、実家の両親の面倒を見に行く交通の便利さでした。洋裁、編み物が好きです。祖父が紳士服の縫製をしていましたし、母も洋裁、和裁が得意でしたので、その影響で子供の頃から見よう見まねでお人形さんの洋服を作り始め、高校生になった時には自分の洋服は全て手作りしました。

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<100人>黒澤俊明さん

実は、自治会を始めたのはほんの4、5年前のことなのです。それまでは薬品関係の会社に勤務し、営業一筋のサラリーマン生活を送っていました。その間、名古屋、大阪、福岡、沖縄など12年間の単身赴任も経験しました。そして、60歳で定年を迎えてその後、たまたま自治会の班長になったのが自治会に係わる切掛けなのです。

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<100人>上山クニ子さん

このEM菌は、有用な微生物を研究していた琉球大学の先生が発見した菌。EM菌に興味と関心を持ちました。EM菌を購入して何度も試してみましたが失敗もありました。それは、空気中の雑菌が繁殖してしまい使い物になりませんでした。ある時、開発した先生の講演を聞きに行き密閉した容器を使用していることを知りました。

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<100人>水村雅啓さん

生まれも育ちも入間市です。家に文化・文政時代からの先祖の位牌がありますから、先祖は相当昔から入間市(昔は黒須村)で生活していたのでしょう。入間は昔から織物が盛んで、多くの機織り工場がありました。私の家も服地、タオルの織物工場でしたから、家業を継いで特にタオルシーツ、ケットの製造を行いました。

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<100人>小澤良秋さん

生まれは東京世田ヶ谷で、入間に住んで24年になります。リバーサイド住宅は入間川沿いで、水と緑に包まれた環境が気に入って移りました。千代田区の市ヶ谷駅近くに帯坂があります。番町皿屋敷で、お菊が帯び引きずって逃げた坂です。囲碁総本山日本棋院は坂の中腹にあり、ここに23年間勤務しました。半年の欧州旅行から戻って英語の使える仕事を探していたところ、棋院が月刊英文誌を発行している事を知りました。

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